日本の質屋は鎌倉時代末期にはじまり、700年以上にわたってまちの経済の担い手として存在してきた。時代に応じて質屋に持ち込まれる品物は移り変わり、それに応じて質屋の役割もまた変化している。現在、京都質屋協同組合には、京都、滋賀、大阪、奈良の36店舗が加盟している。今回は、京都で質屋を受け継いだ3人の店主に、これからの質屋のあり方を模索するその思いを聞いた。
三者三様に個性的な質屋を営む店主たち
烏丸今出川の西南角、落ち着いた佇まいの加藤商店のビル。中古ブランド品を扱うショップ、その先には「ドライブスルー」の看板が見える。代表取締役社長の加藤学さんは「お客さんが入りやすい質屋にしたい」とさまざまな工夫をこらしてきた。店名に「質」を入れないのも、「お客さんが入りやすいように」との配慮のひとつ。「ドライブスルー質屋」を始めたときは、あまりの斬新さが大きな話題になり、マスコミからの取材も多数舞い込んだ。ショップを開いたのも、いち早く世の中のニーズを捉えてのことだった。
加藤 子どもの頃から、質屋の暗くて入りにくいイメージを変えたかったんです。ドライブスルーなら、車内で話ができますし嫌ならそのまま逃げて帰ることもできると考えました。ショップのほうは、ヨーロッパのビンテージ・ショップのように、中古のなかから価値のあるものをお客さん自身に見つけてもらう場を設けることで、質屋への敷居を下げたいという思いから始めました。
佐藤英子さんは、祖父母が宇治で営んでいた質屋を受け継ぎ、地域のお客さんとのおつきあいを大切にしている。もともとは継ぐ予定ではなく、東京の大学で日本中世史の研究と東京国立博物館でのアルバイトをしながら、博物館学芸員を目指していたという。
佐藤 博物館の仕事は本当に楽しくて、自分の天職だと思っていました。でも、祖母が急逝したとき、落ち込む祖父の姿を見ていて「ここまで好きなことをさせてもらったし、お客さんから預かっている品物もあるんだから継ごう」と決めたんです。もちろん博物館への心残りはありましたが、質屋さんを継いだから経験できたこと、人との出会いがたくさんあるので、今は本当によかったと思っています。
野村質店は江戸時代から160年の歴史ある老舗。野村庄一郎さんは今、5代目の父とともに東山で店を営んでいる。大学卒業後は企業に就職し「店を継ぐという意識はなかった」そうだ。ちょうど30歳を迎えたころ、町家づくりの店舗の建て替えを機に、実家に戻って質屋を継ぐことにした。
野村 大きな決断というよりは人生のタイミングでしたね。店の奥にあった土蔵が傷んでしまい、表の店と自宅を維持したままで補修するのは難しかったんです。建て替えるなら戻ってきて僕も店に入ろうかということになりました。それから何年か、業者市場などに通って質屋として修業をしました。
現在の野村質店も、一文字瓦の屋根に虫籠窓の意匠を用いた京都らしい店構え。店内には江戸時代の店舗から受け継いだ敷石を残している。
借りやすすぎず、借りにくすぎないよくできた仕組み
今は「質屋」という言葉は知っていても利用したことはないという人が増えた。しかし、ひと昔前には家計のやりくりに困ったときに、まちの人たちが気軽に利用する場所だった。
野村 昔は、日雇いの現場仕事をする人が、朝に生活用品を質入れして夕方には質請けするなんてこともあったと聞いています。キャッシングなどに比べて、借りやすすぎず、借りにくすぎない質屋はよくできたしくみです。子どもの部活の合宿、受験や入学などで出費がかさむときに、自分の持っているものでお金を用意できる手段として使ってもらえたらと思います。
質屋の利用は大きく分けてふたつ。品物を買い取る「買取り」と、品物を担保にその価値の範囲内でお金を借りる「質預かり」がある。預かり期間は3ヶ月、利息(質料)と貸付金(元金)を返せば預けていた品物は手元に戻る。万が一返せない場合、品物は「質流れ」になるが返済義務はない。預かり期間をすぎても品物を保管してほしい場合は利息を納めておけばよい。
加藤 利息には、品物の保管料も含まれています。質屋では毛皮や革のバッグなどを、しっかりとしたシステムを入れてご自宅以上の環境で守っています。だから、お客さんが預けられたときと同じ状態でお返しできますし、質流れ品をショップで販売ができるんです。
預け入れ品は、時計や宝飾品などのほか、現在はブランド品のバッグや服飾品も多くなっているという。時代とともに変わる預け入れ品の価値を評価できるよう、研鑽を積むことも質屋の大事な仕事になっている。
質屋は鑑定のプロ。
『メルカリ』出品前の相談もOK
『メルカリ』などのフリマアプリや『ヤフー!オークション』の普及は、中古品のイメージを「まだ使える価値のあるもの」へと底上げした。質流れ品を扱う小売ショップを利用する若い人も増えているという。質屋のショップの良いところは、きちんと鑑定されているので安心感があることだ。
佐藤 宝石の知識はもちろん、ブランド品については展示会に行って新しい商品を見て学んだりもしています。加藤さんに声をかけてもらって参加した、全国質屋ブランド品協会では贋物の見分け方などを教えてもらいました。
加藤 僕らは宝飾品からブランド品まで、鑑定・鑑別できるプロフェッショナル。鑑定機関とは違って、今このときの値段を言えるのが質屋の強みです。昔は海外に行かれた方から「買って失敗したと思ったとき売りたいのですがいくらになりますか?」という相談の電話がよくありました。最近では、メルカリに出品する前に鑑定にくる人も増えていますよ。うちで出した値段を参考にメルカリに出し、売れなかったものを質入れや買取りに出してくれはるんです。
質屋での査定・相談は無料。3人は「相談だけでもいいので気軽に来てほしい」と口を揃える。これからは「鑑別をしてその場で動産価値を聞ける場所」としての質屋の可能性が、より重要になるだろうと加藤さんは考えている。「品物の価値を聞くためだけに質屋に相談しに行ってもよいのですか?」と尋ねると、全員の答えは「イエス」。
佐藤 全然いいですよ。質屋の利用はお金が関わることなので、初めての方にはハードルが高いかもしれません。その前段階として「これは売れるのかな?」「どのくらいの値打ちがあるのかな?」と確かめたいときに、相談窓口みたいな使い方をどんどんしてもらえたらいいなと思います。
品物を預かる質屋だからこそできることがある
質屋には、訪れる人の数だけ物語がある。常連さんともなれば、ときとして人生の一大事に関わることも起きる。佐藤さんは、2012年8月に宇治地域を襲った豪雨災害の直後、店を訪れた警察から「小さな黒いバッグ」を見せられた。「佐藤質店」の質札が入っていたのだ。
佐藤 いつもおまんじゅうやお茶などのお土産を持ってお店に来てくれる、祖父母の代から常連のご夫婦がいらっしゃったんです。ネックレスや時計などいろんなものをうちに預けてくれたはりました。川の底から見つかったというそのバッグは奥さんのもの。ドロドロになったうちの質札が束になって入っていました。
当時報道されていた溢れた川の水で流失したという民家ーー「常連さんの家のあたりだな」と心配していたら、なんとこのご夫婦のご自宅だったのだ。すると後日、ご遺族となった息子さんがその質札を手に佐藤質店を訪ねてきた。
佐藤 家ごと流されてしまったので、遺品すら残っていない。でも、うちの店にはご夫婦が預けてくれたものがたくさん残っていました。「何もかもなくなったと思っていたら、両親が大事にしていたものがここに全部ある」とすごい泣かはって。「お金を揃えて全部出しますから待っていてほしい」と言われました。私も「もちろんです。どれだけかかっても置いておきますから」と言いました。
約一ヶ月後、質請けに来た息子さんは「形見として大事にします。ほんまに質屋さんがあってよかった。両親がこのお店に来ていて本当によかった」と涙を流されたそうだ。佐藤さんもまた「ここで質屋をしていてよかった」と涙が止まらなかったという。
質屋とそのお客さんは、質に入れられる品物の価値を共有している。単なるお金の貸し借りではなく、品物を介してやりとりをするからこそ、質屋にはいろんな人生の物語が紡がれていく。まちで質屋を見かけたら、ウィンドウの向こうを覗いてみてほしい。そこには、今まであなたが知らなかった世界が待っているかもしれない。